2009年10月15日

花のようにライブ@2009年10月15日吉祥寺 STAR PINE'S CAFE

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10月15日(木)@吉祥寺 STAR PINE'S CAFE
みみ 1stCD「靴のかかと」発売記念パーティ
『キルトの森』
開場18:30/開演19:00
前売り当日共2000円
・みみ
・momo椿*
・cero
・花のように
dance 久世龍五郎
live painting 戸祭睦美

出番は1バンド目、19:00〜です。


タグ:花のように
posted by 趙南淵 at 23:59 | 音楽イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

花のようにライブ@2009.10.7新宿Motion

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花のように、ライブのお知らせ

2009.10.7(水) @新宿Motion
disk union+MOTION presents“FREE vol.5”
open 18:00 / start 18:30
adv/door FREE!!
[※D別:2Drink¥1,000/
生ビール・ソフトドリンク飲み放題¥2,000/カクテル・生ビール・ソフトドリンク飲み放題¥2,500]
w : 似非浪漫 / sajjanu / FarFrance / Pq
DJ : kame-chan(PROGRESSIVE ROCK)

フリーイベントです。
ドリンク代は別途必要ですが、飲み放題もあるのでとてもお得だと思います。
タグ:花のように
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2009年10月05日

Flickrを始めました

 少し前になりますが、Flickrを始めました。こちらです。日常の風景をコンパクトカメラで撮っただけのものですが、機会があればときどきチェックしてください。

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タグ:flickr
posted by 趙南淵 at 20:26 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月01日

エグベルト・ジスモンチLive@2009.9.13すみだトリフォニーホール

 もう先月のことになるが、エグベルト・ジスモンチのライブに行ってきた。
 自分が行ったのはギターデイ、ジスモンチのギターと広上淳一の指揮による新日本フィルハーモニー交響楽団の共演だったが、これがなかなか、興味深く楽しめたと思う。
 まず面白かったのが、広上淳一氏の指揮。もちろんジスモンチによる巧みな、それでいてギターを初めて手にしたかのような、手探りで荒々しい演奏も凄かったけど、それと同じぐらい目立ったのが広上淳一氏の指揮だった。
 実を言うと自分は、ああいったオーケストラの演奏、特に現代音楽に足を突っ込んだようなものを生で聴くのはほとんど初めてで、そういった意味でも新鮮な驚きがあったのかもしれないが、とにかく広上淳一氏の指揮は自分の「指揮者」に対する考えを覆すものだったと思う。
 何が驚きだったって、まず「声を出すこと」。正確には息づかいなのかもしれないが、合間合間に気合いの入った息を吐き、演奏を導いていく姿は、指揮者ではあるものの、ほとんど音を出す人間として演奏に加わるかのようで、それは自分の考え、つまり指揮者は音を出さない、という前提を覆すものだっただろう。
 指揮者というのは改めてああやって生で見ると、実に特異な存在だと思えた。指揮者だけは他の演奏者と違い、楽器を持たない。他の全員が音楽を明確に奏でる立場にいるというのに、指揮者は唯一、楽器を持たない人間としてステージに上がることが許され、それでいて演奏の中心にいる。まるで指揮者の立っている場所だけが、他の空間から切り取られたかのようにステージの上に位置しているかのようであり、その空間は確かにステージの上にありながら、どことなく客席の一部のようでもある。
 考えてみればオーケストラにおける指揮者という制度は、なかなか民主的なものなのかも知れない。その制度は、例えばロックなどの一方的にステージの上から音楽を奏でられ音を聴く、といった構図には収まらない。まるで指揮者は、もちろんオーケストラには必要不可欠なものであろうが、その一方、集まった聴衆の代表としてステージに上がったかのようでもある。それは単に、指揮者と聴衆の向いている方向が同じだから、そう感じてしまうだけなのかもしれないが、しかし少なくともあの日の広上淳一氏のステージ上での一挙手一投足は、集まった聴衆の気持ちを代弁していたのではないだろうか。楽器を持たずとも、まるで自身も楽器を手にしているかのように息継ぎをし、ジスモンチのソロパートでは聴衆と同じく息を殺し耳をそばだて、時には軽やかにダンスするその姿は、私たち聴者の気持ちを代弁する者として確かにステージの上に立っていたのであり、彼は座席に縛り付けられ音を出すことを禁じられた私たち聴者の代わりに、声を出し、ステップを踏むことを許されたのだ。その興味深い構図は、普段、自分が足を運んでいるどんなライブよりも民主的で、能動的な聴取があり、ステージと聴衆との垣根は取っ払われていたと思える。
 もちろん生で聴く、ジスモンチのギターも素晴らしかったが、そういった指揮者についての考察もまた、楽しく感じられたライブだった。
サウダソォンエス
サウダソォンエスエグベルト・ジスモンチ

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Alma The Glass Bead Game Infancia In Montreal Duas Vozes

posted by 趙南淵 at 11:45 | 音楽イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第九回文学フリマ

 2009年12月6日に行われる、第九回文学フリマに参加することになりました。前回に引き続いての参加で、今回は前回売っていた10種類のポストカード型小説に加えて、新作を幾つか売りたいと思っています。同居人のKIKORIも漫画を書くそうです。また詳細は追って連絡します。

第九回文学フリマ@大田区産業プラザPiO
2009年12月6日(日)
開場11:00〜終了16:00(予定)
サークル名は「キコテツ」です
posted by 趙南淵 at 11:14 | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

泰山に遊ぶツアーファイナル@2009年8月22日下北沢トロカデロハウスの感想

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 昨日は下北沢のフランス料理屋トロカデロハウスにて行われた、泰山に遊ぶツアーファイナルイベントへ。
 食事をされているお客さんたちの脇をくぐり、レストラン2Fから急な階段を上った先に設けられたライブスペースは、まるで屋根裏部屋のごとくの様相。自分がかつて足を運んだ場所の中でも、史上二番目ぐらいの狭さで(ちなみに最も狭かったのは、大阪のポコペン)、ライブが始まる前からかなりの熱気。しかしそんな悪条件の中、いや悪条件の中だからか、素晴らしいライブになったと思う。
 いちばんの驚きだったのは、泰山の演奏。フジロック出演を経て、京都・名古屋とツアーをした結果か、以前フジロック前に観たライブとは比べものにならないほどのグルーブを生み出していて、特に中盤の曲のダブ処理が、メンバー全員の熱烈な演奏を無限に広げていく様は圧巻だった。まるでサウナのような温度と相まって、完璧なトリップ空間を創り出していたと思う。成瀬さんの、いちいちメンバーを戸惑わせる(しかし全部きちんと合うのが凄い)挙動も素晴らしいものがあった。

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 花のようには、途中歌詞を忘れたり、やり直したりする曲もあったけど、聴いたことのない曲が多数あり、よかったと思う。あとで訊ねるとかなり初期の頃の作品らしく、学くんの世界観を把握する手がかりになったと思える。ちなみに自分は、歌詞を忘れたり、曲を最初からやり直すといったことは実はとても好きで、むしろそういったところに音楽的なものを感じてしまうところがある。
 イベント終了後は、下北沢随一のフランス料理屋と言われるトロカデロハウスの料理を食べながら、少しばかり打ち上げ。全員汗だくなイベントだったけど、これほどまでに夏らしいイベントもなかっただろう。いい夜だった。
posted by 趙南淵 at 18:00 | 音楽イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月22日

花のように・泰山に遊ぶLive@2009年8月22日下北沢トロカデロハウス

■2009年8月22日(土)@下北沢トロカデロハウス
泰山に遊ぶレコ発ツアーファイナル!「ヤッチャイナ・アヴァンギャルドvol.2」
・泰山に遊ぶ
・花のように
・TOMMY THE GREAT
open 18:30/start 19:00
前売り¥2000/当日¥2,500(+1D¥600)

30人ぐらいしか入れないスペースらしいので、予約をした方が良いと思われます。

posted by 趙南淵 at 23:59 | 音楽イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

駒崎 弘樹/働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)

筑摩書房 2009-05
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 ここ最近読んだ本の中では、最も面白くなかった。
 自分がこの本を手に取ったのは、言うまでもなく自分自身が「働き方」に悩んでいるからであり、それだけでなく自分の勤める会社の同僚、上司といった自分以外の人間たちの「働き方」を含めて悩んでいるからであり、だからこそ自分はこの本のタイトルと、数々の紹介文に惹かれるようにして手に取っわけだが、しかしながらこの本、結論として自分が日々悩みながら何とか答えを出したい「働き方」について、なんの答えも、いや少しばかりの示唆でさえ示してくれなかった。
 この本の主張していることは、平たく言えばまず「残業を減らしていくこと」である。どれだけ沢山の仕事を抱えていようとも、仕事の生産性を上げる余地は残されており、効果的に時間を使う方法、あるいは優先順序を整理する方法をきちんと知れば、残業は必ず減っていくという主張。その背景には著者のかつての経験、つまり学生の頃からITベンチャーの経営者として日夜を問わず働きづめだった経験があり、その「働きづめ」だった生活への疑問から、彼は「働き方を変えよう」と、つまりは生産性を高め、意識的に余暇を楽しみ、労働以外の時間を有意義に過ごすことを目指した。それが彼の「働き方革命」であり、彼はこの本を通じて、「残業するだけが仕事ではない」「残業しないで生産性の高い労働をする方がいい」「家族や恋人との対話の時間を増やそう」「趣味の時間を増やそう」……そういったことを伝えている。
 事実彼の言っていることは正しいし、何一つ間違っていない。自分も「残業することだけが会社への貢献ではない」と思っているし、毎日残業しないことを目標に上げて全ての業務に取り組んでいるし、余暇を有意義に過ごしたいと思っている。だけど自分はこの本に対して、根本から疑問を感じてしまう。
 例えばこの本において、残業を減らすための具体的な方法は幾つか示されているが、その方法が画期的かというと、実はそうではない。具体的な手段についてはもしかすると他のビジネス本の類で紹介されていないものなのかも知れないが、根本的な考え方については同じだろう。つまり自分が一日、どのような事柄について時間を費やしているのかを把握し、24時間をよりいっそう意識的に、効果的に使っていくということ。また会社全体として業務のブラックボックスを解消し、ダブルワークを推し進め、誰が欠けていようとも滞りなく業務が進んでいる体系を実現すること。大まかに言えば彼の「働き方革命」とはその二点である。
 しかしそれって、新しいことと言えるだろうか? 自分はビジネス書をほとんど読まない人間だが、彼の主張はほとんど誰かが既に口にしていることではないのか? 少なくとも自分にとって彼のやり方は、仕事における定石でしかない。
 いや、この本の特徴は、単に「仕事の生産性を上がる」ことだけを主張しているだけでなく、つまりワークライフバランスやQOLについて、自身の経験に基づきながら、読者側と同じ視点で「新しい労働のかたち」に取り組んでいるところにあるのだろう。だからべつに画期的な方法を提示する必要はないし、その点では特に不満はない。ただし自分はそれ以外のところでどうも不信感を感じるのだ。
 例えば先の述べた通り、この著者は平たい文章で、饒舌に、面白おかしく自身の経験を交えて書いているが、間違って欲しくないのが、この著者はそもそもかなりのビジネスマンなのだ。少なくとも嫌々ながらに社会に出て、社会人をやっているような類の人間ではない。学生の頃から、既に自ら進んでビジネスの世界に身を染めているのだ。その点では多くの人よりも抜きんでていると考えていいし、少なくとも自分のような、働く意味を模索するために働いている、みたいな、ゆとり世代先取りな人間とは違うし、また機械のように日々単純労働を繰り返している種類の人間とも違う。確かに彼は自身の経験を交えながら、それらを面白おかしく、時に道化を演じながら書き立てているものの、それを真に受けるのは完全に間違っている。彼は曲がりなりにも会社社長(正確に言えばNPO代表)なのだ。そしてその微妙な立場は「働き方革命」という言葉の方向性を混乱させている。あくまで労働者としての「革命」なのか、それとも経営者としての「経費削減」としての革命なのか。
 最も不信感を感じるのは、この本の中で「収入の減少」について何も触れられていない点だ。もちろん残業は減らしていくべきだろう。日本人にはだらだらと会社に居残るというかたちの貢献ではなく、生産性において貢献していくという方法が必要だ。しかしそれをこの本の主張している通りに、国ではなくあくまで個人で実現させていく限り、「収入の減少」は必ずや発生する。その事実をこの著者は全くのところ書いていない。ここ日本の多くの企業が「どの程度のことを生産したか」ではなく、「どの程度の時間を仕事に使ったか」を基準にして給料を支払っているという事柄について、彼は何も言及していない。それが最も不信感を煽るのだ。
 例えばこの著作において、著者の経営するNPOのとある人間は、著者の命令によって残業を削ることを余儀なくされるが、彼の給料体系において残業代がきちんと発生しているのならば、彼の給料は間違いなく減ることになる。つまり彼は会社命令によって給料を減らされたのだ。そしてコストが削減できたと、喜びながらこの著者は書いている(最終的にその削減が従業員の給与に反映されたのならば納得できるが、それについての言及は何もない)。
 今の日本の給料形態を鑑みれば、残業の減少はつまりすぐさま収入の減少に繋がる。会社経営者としてはもちろん、残業の軽減というのは喜ぶべきことだろう。しかし一介の労働者として、残業の減少というのはすぐさま家計を直撃するものだ。それに変わって余暇が与えられるって?それは本当に馬鹿げた話だ。多くの人間はその余暇を、稼いだお金を費やして過ごしているのだ。
 その代わり著者はこう主張する。私がこの生き方、つまり「働き方革命」を主張することによって、私の経営するNPOには多くの有能な人材が集まりました。「単に経理を募集したのに、公認会計士が来たんですよ!」と。他にはこうだ「私の恋人は私の主張する時間術によって、余暇を手に入れ、趣味でやってるバンドである程度成功を収めました!」と。さらにはこうだ、「自分は余った余暇を利用して、この本を書いたんですよ!」と(めちゃくちゃだ)。言うまでもなくその成果は「残業を減らす」ということと繋がってはいない。残業を減らし、他のことに時間を費やしたとしても、人間は「確実に成功する」わけではない。そのようなことで「残業至上主義」に対して反論するのは間違っている。
 言うまでもなく、今の日本の社会において、残業を減らすことは自身の収入を減少させることと同義だ。私たちの多くは「残業代を当てにして労働をしている」。その残業代を削るって、そんな馬鹿げたことがあるか。多くの労働者はこうとしか考えられないのだ。その考え方自体を変えたいという目的があるのはわかるが、ところどころで見られるサクセス本じみた論理展開が、どうにも鼻につくのだ。本当の意味での「働き方革命」を目指すのなら、そこで社会的成功などを持ち出すべきではない。
 つまりワークライフバランスや、スローライフといった最近流行りの概念をテーマにしながらも結局、最終的には全て現実的な「サクセス」に繋がっていることが、この本に対する私の不信感の原因なのだろう。世界恐慌を通過し、終身雇用制の崩壊、これ以上給料が上がらないかも知れないという可能性が私たちに対して現に突き付けられているいま、本当に考えるべきは「社会的成功」では量れない価値観であり、ときにあらゆる成功を放棄した先にある価値観であるのは間違いないと自分は思うし、この本においてもそういった概念が少しばかり取り上げられているが、結局最終的には「サクセスするための足がかり」としてしか消化されていないのだ。それが全ての不信感の原因となっているし、仕上がりとしても本当に中途半端という印象を持ってしまう。
 ただしこの印象というのはあくまで「この本について」のものであり、著者がNPOその他でやっている事業についてのものではない。この本の書き方については本当に嫌悪を抱かざるを得ないが、著作業以外での彼のやっていることは大いに支持できると思う。
posted by 趙南淵 at 11:03 | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

帰省

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 先週は月曜から三日間、大阪の実家に帰っていた。
 前日の日曜の夜から夜行バスに揺られ、着いたのは月曜の朝六時ぐらい。久しぶりのJR大阪駅は取り壊しが進み、剥き出しの鉄骨が良い雰囲気をだしていたが、寄り道はせずにさっさと阪急電車のホームへ。個人的に、特に座席のふかふかさについて世界一だと思っている阪急電車の車両は、普段使っている東急に比べればかなり古くさくて色褪せて見えたが、乗っていると徐々に馴染んできて、しぜん心が和んでしまう。窓から見える景色も隅々まで知り尽くしており、東急の、まだ他人行儀な光景とはまるで違って見え、ああ自分は故郷に帰ってきたのだな、と感慨ひとしお。まあ三十年近く見続けてきた光景なのだから、当たり前か。
 実家に入るとすぐに母親が出迎えてくれるが、その老けっぷりに驚愕。単に白髪染めが落ちてきていたからということに後で気付くが、それでもやはり歳は取ってきているのだ。しぜん月日の流れを意識して、自分の人生に焦りを覚える。まあそれも毎度のことであり、その焦りをバネにもできない自分がいるのだが……。
 久しぶりの実家は異常なほどに狭く感じられ、狭いばかりか汚いと思え、他人の家に来ているようであり、どこか恐ろしい気分になる。しばらく経てばその気持ちも薄らいだが、汚さはどうしても許せなく思え、一日目は延々と掃除ばかりする。
 二日目は置いてきたCD類を整理し、とあるCD店に250枚ほど買い取りに出す。それでもまだかなりのCD・レコードが残されており、これは全部整理するまでにあと一年以上はかかると判断。あとは置いてきた楽器類をいま住んでいる家に送る。これから何かと使う計画があるから。
 三日目は姉の子供たちの子守にかなり専念。特に一番下の姪と、下から二番目の姪と三人で、アイスクリームを買いに出かけたり、近くの湧き水溢れる小川で水遊びをしたり。東京よりも体感温度二度ぐらいは高いと思えた大阪の夏の空は、今年ようやく「夏」を感じることができるもので、自分がいままさに夏休みの真っ最中なのだと実感させてくれるものだった。かつて子供の頃の長い長い夏休みとは比べものにならないほどに少しの夏休みだったけど、少しでも昔味わった、あの引き延ばされた時間の感覚を思い出せたのだから、素敵だったのかも知れない。
posted by 趙南淵 at 11:14 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

2009年8月8日高円寺ペンギンハウス

 昨日は人生(ほとんど)初ライブという記念すべき、しかし本音を言うと特に記念したくもない日だったが、以下感想をまとめると……
・リハから出番までの間、とても時間が空いていて、そのあいだ何をすればいいのかわからず、結構絶望的だった。あの時間はとてももったいないと思う。
・することがない、加えて演奏に自信がなかったため近くの公園で何度かに分けて練習するが、その度に蚊に刺されてかゆすぎて練習どころではなかった。あげくには空を自在に飛び回るゴキブリに襲撃され、退散することに。
・ライブ直前は死ぬほど緊張しており、正直言って本気で後悔していた。
・ライブではいわゆる「返し」というのがとても小さすぎ、PAさんに頼んでそれを上げてもらうということもわからず、自分の演奏がまるで聞こえないなか演奏することに。なので演奏に対する満足感といったものはまるでない。
・ライブ後に数人の人に褒められたが、性格上、まるで信用していない。

 これぐらいだろうか。
 共演者では、小島ケイタニーラブさんの歌声が素晴らしく、驚きだった。率いるバンドANIMAでの歌声は知っていたものの、ソロで聴くのは初めてで、バンドのときよりも細部まで聞き込むことができ、その複雑な響きを堪能できたと思う。
 ちなみに自分が再度ステージに立つかどうかは不明。
B0027XPU3A月も見えない五つの窓で
ANIMA
WEATHER/HEADZ 2009-07-02

by G-Tools

posted by 趙南淵 at 17:30 | 音楽イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする