ここ最近読んだ本の中では、最も面白くなかった。
自分がこの本を手に取ったのは、言うまでもなく自分自身が「働き方」に悩んでいるからであり、それだけでなく自分の勤める会社の同僚、上司といった自分以外の人間たちの「働き方」を含めて悩んでいるからであり、だからこそ自分はこの本のタイトルと、数々の紹介文に惹かれるようにして手に取っわけだが、しかしながらこの本、結論として自分が日々悩みながら何とか答えを出したい「働き方」について、なんの答えも、いや少しばかりの示唆でさえ示してくれなかった。
この本の主張していることは、平たく言えばまず「残業を減らしていくこと」である。どれだけ沢山の仕事を抱えていようとも、仕事の生産性を上げる余地は残されており、効果的に時間を使う方法、あるいは優先順序を整理する方法をきちんと知れば、残業は必ず減っていくという主張。その背景には著者のかつての経験、つまり学生の頃からITベンチャーの経営者として日夜を問わず働きづめだった経験があり、その「働きづめ」だった生活への疑問から、彼は「働き方を変えよう」と、つまりは生産性を高め、意識的に余暇を楽しみ、労働以外の時間を有意義に過ごすことを目指した。それが彼の「働き方革命」であり、彼はこの本を通じて、「残業するだけが仕事ではない」「残業しないで生産性の高い労働をする方がいい」「家族や恋人との対話の時間を増やそう」「趣味の時間を増やそう」……そういったことを伝えている。
事実彼の言っていることは正しいし、何一つ間違っていない。自分も「残業することだけが会社への貢献ではない」と思っているし、毎日残業しないことを目標に上げて全ての業務に取り組んでいるし、余暇を有意義に過ごしたいと思っている。だけど自分はこの本に対して、根本から疑問を感じてしまう。
例えばこの本において、残業を減らすための具体的な方法は幾つか示されているが、その方法が画期的かというと、実はそうではない。具体的な手段についてはもしかすると他のビジネス本の類で紹介されていないものなのかも知れないが、根本的な考え方については同じだろう。つまり自分が一日、どのような事柄について時間を費やしているのかを把握し、24時間をよりいっそう意識的に、効果的に使っていくということ。また会社全体として業務のブラックボックスを解消し、ダブルワークを推し進め、誰が欠けていようとも滞りなく業務が進んでいる体系を実現すること。大まかに言えば彼の「働き方革命」とはその二点である。
しかしそれって、新しいことと言えるだろうか? 自分はビジネス書をほとんど読まない人間だが、彼の主張はほとんど誰かが既に口にしていることではないのか? 少なくとも自分にとって彼のやり方は、仕事における定石でしかない。
いや、この本の特徴は、単に「仕事の生産性を上がる」ことだけを主張しているだけでなく、つまりワークライフバランスやQOLについて、自身の経験に基づきながら、読者側と同じ視点で「新しい労働のかたち」に取り組んでいるところにあるのだろう。だからべつに画期的な方法を提示する必要はないし、その点では特に不満はない。ただし自分はそれ以外のところでどうも不信感を感じるのだ。
例えば先の述べた通り、この著者は平たい文章で、饒舌に、面白おかしく自身の経験を交えて書いているが、間違って欲しくないのが、この著者はそもそもかなりのビジネスマンなのだ。少なくとも嫌々ながらに社会に出て、社会人をやっているような類の人間ではない。学生の頃から、既に自ら進んでビジネスの世界に身を染めているのだ。その点では多くの人よりも抜きんでていると考えていいし、少なくとも自分のような、働く意味を模索するために働いている、みたいな、ゆとり世代先取りな人間とは違うし、また機械のように日々単純労働を繰り返している種類の人間とも違う。確かに彼は自身の経験を交えながら、それらを面白おかしく、時に道化を演じながら書き立てているものの、それを真に受けるのは完全に間違っている。彼は曲がりなりにも会社社長(正確に言えばNPO代表)なのだ。そしてその微妙な立場は「働き方革命」という言葉の方向性を混乱させている。あくまで労働者としての「革命」なのか、それとも経営者としての「経費削減」としての革命なのか。
最も不信感を感じるのは、この本の中で「収入の減少」について何も触れられていない点だ。もちろん残業は減らしていくべきだろう。日本人にはだらだらと会社に居残るというかたちの貢献ではなく、生産性において貢献していくという方法が必要だ。しかしそれをこの本の主張している通りに、国ではなくあくまで個人で実現させていく限り、「収入の減少」は必ずや発生する。その事実をこの著者は全くのところ書いていない。ここ日本の多くの企業が「どの程度のことを生産したか」ではなく、「どの程度の時間を仕事に使ったか」を基準にして給料を支払っているという事柄について、彼は何も言及していない。それが最も不信感を煽るのだ。
例えばこの著作において、著者の経営するNPOのとある人間は、著者の命令によって残業を削ることを余儀なくされるが、彼の給料体系において残業代がきちんと発生しているのならば、彼の給料は間違いなく減ることになる。つまり彼は会社命令によって給料を減らされたのだ。そしてコストが削減できたと、喜びながらこの著者は書いている(最終的にその削減が従業員の給与に反映されたのならば納得できるが、それについての言及は何もない)。
今の日本の給料形態を鑑みれば、残業の減少はつまりすぐさま収入の減少に繋がる。会社経営者としてはもちろん、残業の軽減というのは喜ぶべきことだろう。しかし一介の労働者として、残業の減少というのはすぐさま家計を直撃するものだ。それに変わって余暇が与えられるって?それは本当に馬鹿げた話だ。多くの人間はその余暇を、稼いだお金を費やして過ごしているのだ。
その代わり著者はこう主張する。私がこの生き方、つまり「働き方革命」を主張することによって、私の経営するNPOには多くの有能な人材が集まりました。「単に経理を募集したのに、公認会計士が来たんですよ!」と。他にはこうだ「私の恋人は私の主張する時間術によって、余暇を手に入れ、趣味でやってるバンドである程度成功を収めました!」と。さらにはこうだ、「自分は余った余暇を利用して、この本を書いたんですよ!」と(めちゃくちゃだ)。言うまでもなくその成果は「残業を減らす」ということと繋がってはいない。残業を減らし、他のことに時間を費やしたとしても、人間は「確実に成功する」わけではない。そのようなことで「残業至上主義」に対して反論するのは間違っている。
言うまでもなく、今の日本の社会において、残業を減らすことは自身の収入を減少させることと同義だ。私たちの多くは「残業代を当てにして労働をしている」。その残業代を削るって、そんな馬鹿げたことがあるか。多くの労働者はこうとしか考えられないのだ。その考え方自体を変えたいという目的があるのはわかるが、ところどころで見られるサクセス本じみた論理展開が、どうにも鼻につくのだ。本当の意味での「働き方革命」を目指すのなら、そこで社会的成功などを持ち出すべきではない。
つまりワークライフバランスや、スローライフといった最近流行りの概念をテーマにしながらも結局、最終的には全て現実的な「サクセス」に繋がっていることが、この本に対する私の不信感の原因なのだろう。世界恐慌を通過し、終身雇用制の崩壊、これ以上給料が上がらないかも知れないという可能性が私たちに対して現に突き付けられているいま、本当に考えるべきは「社会的成功」では量れない価値観であり、ときにあらゆる成功を放棄した先にある価値観であるのは間違いないと自分は思うし、この本においてもそういった概念が少しばかり取り上げられているが、結局最終的には「サクセスするための足がかり」としてしか消化されていないのだ。それが全ての不信感の原因となっているし、仕上がりとしても本当に中途半端という印象を持ってしまう。
ただしこの印象というのはあくまで「この本について」のものであり、著者がNPOその他でやっている事業についてのものではない。この本の書き方については本当に嫌悪を抱かざるを得ないが、著作業以外での彼のやっていることは大いに支持できると思う。